こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじったものの内容は関係ない。

休職など

休職して1週間が経過したが非常に暇である。そもそも休暇はなるべく取らないという方向で会社と調整していたために遅まきながら今更休職しているわけだが、たった1週間仕事と隔絶されることがこんなに精神衛生によくないとは思わなかった。産前休暇は女子従業員の申請による任意の休職ではあるが、とはいえ会社の管理者からすれば今のご時世、妊産婦を出産直前まで働かせるのも却ってリスクなので、本音としては早めに休んでもらいたかったのではないかと想像する。よくそのあたりを理解してもらえたなとは思う。

休職する前には休みができたらやりたいことがたくさんあった。まずは普通に休んで、運動でもして美味しいカフェにでも行き、読書をして映画を観て、ウィンドウショッピングでもして家のメンテナンスをしようと思っていた。ところがその生活に満足できたのは最初の3日ほどで、そのあとは仕事もしていないのに消費をするということがただただ厭になってしまった。休暇を取ったタイミングが遅く、予定日が近くなりすぎたためにいつ陣痛が来るかもわからず、行動範囲ないしは出来ることの制約があるという点も大きいのかもしれない(普通の外出ならできるが、暇だからといって遠出をしたり、そこまで親しくない相手と会う約束をしたりといったことはしづらい)。

ただの休みに飽きてからは、資格を取ったり勉強したり業務関連のインプットをしようと考えついた。ところが、これから産後休暇に入ることを考えると、そのモチベーションがどうしても湧いてこない。基本的に休職中は社内とあまり不要不急の連絡を取らないように言われており(産後休暇中に業務に関与したという言質があるとコンプラ上問題なので)、興味深い業界トピックを見つけたところで人とシェアしてディスカッションする手段が限られている。

さらに悪いことに今週に入ってから風邪をこじらせ、喘息様の症状が出て悪化してしまったため、体力が落ちてきていて運動すらできなくなってしまった。家に閉じこもっていると余計に空虚な気分になるのでとりあえず外出を試みるが、家を出て歩いてみても自分には行き先がないということに呆然とする。自分はまだ大した仕事もしていないくせに、休むことがこんなに苦手な人間だったのかと思う。もっとも、産前産後の休暇というのは、こういう日々が結局いつまで続くのか、先行きが不透明であるというところが普通の休みとは違うのかもしれない。

 

今年度から人事関連の裏方を手伝うことになったため、採用や研修関連の本を5冊ほど買ってみたものの、そんなこんなで休暇に入って少し経ってからは読む気がなくなってしまった。その後は頭を使わないものを…と思い女性ファッション誌を何冊か購入してほしいものをピックアップしてみたが、先述のとおり消費をする気自体が失せてきているので、一通り読んで満足したところで読むのをやめた。

今は休暇がらみということで三島由紀夫の『小説家の休暇』、リチャード・ブローティガンの『東京日記』を読み終えたところで、現在、呉座勇一『一揆の原理』を読みかけている。

東京日記はなんだかものすごく沁みた。泣きたくなってしまった。

ブローティガンは学生の頃に生協で買って読んで以来とても好きな作家だったけれども、彼がこの風変わりな詩集を出していたことは長らく知らなかった。この詩集は1976年に初めてブローティガンが来日したときの東京旅行中に書かれたものなのだが、「はじめに」には、彼がどういう思いで来日してこの詩をしたためるに至ったのかという経緯が書かれている。ブローティガンは戦時中に少年時代を過ごしたのだが、彼は「家族の誇りであり、ぼくたちの未来だった」エドワード叔父を、日本兵が落とした爆弾により殺されている。ブローティガン自身も当時の風潮を受け、叔父のかたきである日本人は野蛮で非文明的な敵と教えられて育つことになる。しかし戦後、米国人も日本への憎しみを忘れかけた頃、10代のブローティガンは日本の俳句に出会い、衝撃を受け、日本の絵画と絵巻、映画や小説にも憧憬のまなざしを持つ。そして少年期に野蛮で非文明的と考えていた日本にも文化と歴史があったこと、自身にとってのエドワード叔父のような日本の大勢の人たちが、爆撃や原爆によって亡くなっているということに初めて向き合うようになる。これが、彼が来日するに至った動機である。

東京日記は東京の街でブローティガンが観察した風景への愛おしさと好奇心があふれる作品で、新宿にいる猫、飲み屋、新幹線、東京のタクシー、女性たち……など、彼が東京で出会ったものたち、そして言葉の通じない異国の人間であるがゆえの孤独について触れられている。形式は全編を通じて俳句へのオマージュが見られ、街角の描写を通じて、彼自身の日々の思いや、人々の暮らしや感情の機微を描いているというあたりで、焦点の当て方が日本美術的であるようにも思われた。

休職中の、ともすると憂鬱な心境のときにこういうものが読めてよかったなあ。私が18でブローティガンに出会ったように、彼も10代で日本の俳句に出会い、そして新宿の街を歩いていたのかと思うと大変に感慨深い。