こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじったものの内容は関係ない。

なんでもいいから書くのが大事なのではないかと思い始めた

このブログを開設して5年以上が経つけれども記事は稀に書いては消したりしており一向に伸びる気配もない。消す理由は単に自分の過去の文章を読むのが気恥ずかしいからなのだが、そもそも記事を書く頻度が低いのは由々しき問題だと思っている。私はそもそもまとまった長い文章を書くのが苦手なのである。文章を書く習慣自体は昔からあったのだが、長さとしては原稿用紙1枚くらいが限界で、それ以上のものを書こうとすると筆が急に進まなくなる。

 

ツイッターにハマったのは2010年ごろからなのだが、ハマった理由はひとえに「140字しか書けない」というメディアの特性の相性の良さによるところが大きいと思う。そしてツイッターに慣れてしまって短い文章でのアウトプットに満足する中で、あえてアカウントを分けてブログを書くとなると、ブログでなければならない必然性をそこに求めるようになり、書くことのハードルが上がる。すなわち「ブログとは長文を書くにふさわしいテーマについて書くべき場である」と思ってしまうということである。

 

しかしツイッターでのアウトプットに満足しているときっとこれからもずっと140字を超えるものが書けなくなってしまうので、まずは一定の長さの文章を量産するところから始めるべきだろうと思い、この記事を書くに至った。たしか「クリエイティブであるためにはまず多作であることが大事」みたいな中国の故事か何かがあったよねと思い、ここで引用したらかっこいいだろうと思って検索したけどヒットしなかった。残念。

 

それにしても書きながら気がついたのだが、ツイッターでは常体と敬体を分けずにそのときの気分で混ぜたりしているものの、ブログではどちらかに統一した方が良いのだろうなと思う。しかしこういうことを考えているからハードルが上がってしまうのだろうし、あえてそこに注意を払わないでおくのもアリかもしれない…