杏っ子
下記はドラフトに残っていた2年ほど前の記事である模様。再掲。
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ここ最近の余暇はスポーツにばかりのめり込んでいたのだが、先週末に怪我をしてしまった。
大して深刻ではない(手術等は要らない)が、いつ治るかわからず少し不安なので、しばらくは引きこもって「精力的におとなしく」していようと思う。ちょうど梅雨に入る頃であるし。
この作品で最初に印象に残ったシーンとして、ピアノのあるお家が「幸福で何不自由なかった娘時代」の象徴として出てくること、そして後に夫婦の生活が破綻したあとにそのピアノを手放してしまうこと。
私は香川京子のプロフィールはあまり詳細に存じ上げないのだが、杏子がピアノを弾くシーンを観て、仮に彼女にピアノの素養がないのだとしたらピアノを弾く演技があれほど自然にできるのはすごいことだと思った。ピアノを弾くシーンは昭和初期の映画でもいくつか覚えがあり、原節子も何かの作品で弾いていたと記憶している。『けんかえれじい』でも道子がピアノを弾くシーンは重要なものとして出てくる。香川京子の演技はその中でも最も、力んだようなぎこちなさがなく、良かった。
「杏っ子」というなんとも無邪気で素朴なタイトルはいかにも室生犀星の言葉だが、映画と小説とに連続性はないと言っておいた方がいいかもしれない。小説はどちらかというと私生児として育てられた犀星の自伝的な意味合いが強いものだし、杏子ではなく父・平四郎の一人称視点から語られる。平四郎は映画ほどに善人でもなければ良い父親でもないのだが、それは別の話として脇に置いておきたい。
杏子は懐の深い裕福な両親から大切に育てられた娘である。近隣の家の息子の母親が、「宅の息子には縁談があるのでおたくのお嬢さんと付き合ってもらっては困る」と苦情を述べに来たあと、平四郎は「お宅の息子さんが大切であるのと同じように、私の娘は大切な子であるのだ」とやり返す。作品の中で平四郎は良き親であり寛大な人物である。
そうして慈しまれて育った杏子の生活は結婚によって一変する。夫は平四郎の才能を憎み、平四郎に醜悪な嫉妬心をぶつける。平四郎が偉大であるがゆえに、彼はいかにも卑屈な人物として描写される。
杏子はそのような夫を愛せず、疲弊し、頻繁に実家に戻るようになる。現在の境遇と過去の幸福とを杏子自身も対比させているようなところがあり、夫は酒浸りになり、夫婦生活は金銭的にも破綻を迎えてゆく。ごく短い映画であるが、一人の女性が経験する家庭の幸福と家庭の悲劇とがともに描かれる。
夫の卑屈さや暴力性は恐怖感を伴うというよりもむしろ弱い人間の哀れさを示すようなものであり、成瀬はこういった弱くてどうしようもない人間を本当に巧みに描くのだなあと思っている。
フィルムの状態が少し、というかそこそこ悪いので、生で観ることのできる機会があってよかった。