こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじりましたが、特に外交論などを書く予定はありません。

杏っ子

ここ最近の余暇はスポーツにばかりのめり込んでいたのだが、先週末に怪我をしてしまった。
大して深刻ではない(手術等は要らない)が、確実に良くなる治療法というものもないし、いつ治るかわからないし予後も少し不安なので、おかしな話だがしばらくは引きこもって精力的におとなしくしていようと思う。ちょうど梅雨に入る頃であるし。

この3日間で映画を5本観た。『赤い殺意』『けんかえれじい(2度目の鑑賞)』『夢二(これも2度目)』『秋立ちぬ』『杏っ子』。こうしてみると私は成瀬巳喜男という人がわりと好きなのかもしれない。成瀬のいくつかの代表作は率直に言ってあまり面白いと思えなかったが、比較的地味な作品の持つ特有の深みは何度も味わいたいと思える。成瀬を評して「なんとはないことが積み重なっていく良さ」と言った人があったように思う。今ではこういった評価も幾分か色褪せた凡庸なものになってしまっているが、成瀬については私もそうとしか言いようがない。

杏っ子』は、偉大な作家の父を持つ幸せな娘・杏子が恵まれない結婚をする話で、原作は室生犀星であるが、小説のごく一部だけが抜粋され、映画化されている。杏子を演じているのは香川京子

この作品で最初に印象に残ったシーンとして、ピアノのあるお家が「幸福で何不自由なかった娘時代」の象徴として出てくること、そして後に夫婦の生活が破綻したあとにそのピアノを手放してしまうことを挙げたい。
私は香川京子のプロフィールはあまり詳細に存じ上げないのだが、杏子がピアノを弾くシーンを観て、香川さんはこの時代の女優には珍しく、多少ピアノの素養のある方なのではないかと思った。昭和初期の映画にもピアノが使われるものは多々あるが、例えば原節子はピアノの弾き真似がとても下手なので、楽器を触ったことがほとんどないのだろうということがよくわかる。『けんかえれじい』でも道子がピアノを弾くシーンは重要なものとして出てくるが、こちらも腕や肩の動かし方が不自然である。香川京子は劇中で実際に鍵盤に触ってちゃんと弾いているし、それなりに動きがこなれているので、おそらく女学校かどこかで習ったのではないかなという気がした。いずれにせよこの頃の女優でピアノの演技ができる人は貴重だったのだろう。

杏っ子」というなんとも無邪気で素朴なタイトルはいかにも室生犀星の言葉だが、映画と小説とに連続性はないと言っておいた方がいいかもしれない。小説はどちらかというと私生児として育てられた犀星の自伝的な意味合いが強いものだし、杏子ではなく父・平四郎の一人称視点から語られる。平四郎は映画ほどに善人でもなければ良い父親でもないのだが、それは別の話として脇に置いておきたい。

杏子は懐の深い裕福な両親から大切に育てられた娘である。近隣の家の息子の母親が、「宅の息子には縁談があるのでおたくのお嬢さんと付き合ってもらっては困る」と苦情を述べに来たあと、平四郎は「お宅の息子さんが大切であるのと同じように、私の娘は大切な子であるのだ」とやり返す。作品の中で平四郎は良き親であり寛大な人物である。そして作家であるためなのか、当時の価値観と比べるとずいぶんリベラルな父親のようにも思える。
そうして慈しまれて育った杏子の生活は結婚によって一変する。夫は平四郎の才能を憎み、平四郎に醜悪な嫉妬心をぶつける。平四郎が偉大であるがゆえに、彼はいかにも卑屈な人物として描写される。
杏子はそのような夫を愛せず、疲弊し、頻繁に実家に戻るようになる。現在の境遇と過去の幸福とを杏子自身も対比させているようなところがあり、夫は酒浸りになり、夫婦生活は金銭的にも破綻を迎えてゆく。ごく短い映画であるが、一人の女性が経験する家庭の幸福と家庭の悲劇とがともに描かれる。
夫の卑屈さや暴力性は恐怖感を伴うというよりもむしろ弱い人間の哀れさを示すようなものであり、成瀬はこういった弱くてどうしようもない人間を本当に巧みに描くのだなあと思っている。

フィルムの状態が少し、というかそこそこ悪いので、生で観るチャンスはもうあまりないかもしれず、時間を作って観に行ってよかったと思える作品であった。