こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじりましたが、特に外交論などを書く予定はありません。

沈黙と蛾ー踊り候へ

日曜日も終わる。忙しいのとは少し違うが、日々はめまぐるしく過ぎてゆく。かつては時計ばかり見る人間にはなりたくないと思っていたが、残念ながらそうならざるを得ない部分もある。昔茶道を習っていたことがあった。茶室には時計がない。茶室は定量的な時間の制約を受けることのない空間のように思える。ただし、朝がた生けた花の蕾が気づくと開いていたり、釜のお湯が熱くなったり、あるいは足が痺れたりと、時間の経過を示すヒントは至るところにある。私はお茶のお稽古は嫌いだったが、茶室に流れる時間が好きだった。季節の花も、それをモチーフにしたお菓子も、季節に合った佇まいも、先生のおうちのお庭の植物たちが勢いづいたり枯れたりすることも。測らなくたって、時間は確かにそこにあるでしょう、という教えは、お茶を辞めてからしばらく経っても時折思い出すものだ。

私の敬愛している作曲家の一人に武満徹という人がいる。彼は『音、沈黙と測りあえるほどに』という著作の中で、宮内庁で初めて雅楽を聴いたときの体験についてこう書いている。「雅楽はいっさいの可測的な時間を阻み、定量的な試みのいっさいを拒んでいた」。雅楽に関する武満のこの表現は、私が茶室という空間に関して思うことに似ている。武満の音楽を解釈するのは難しい。それに、彼自身がすぐれた文筆家でもあったので、私は彼の音楽について意味のあることを語る術も持たないのだが、あえてこういう言い方をすれば、武満は音以上に、沈黙の深みについて考え続けた作曲家ではないかと思っている。
音と沈黙を独立したものと考え、それらを並べてひとつの体系を作る作曲技法は、西洋音楽(などという大雑把な括りは嫌う人も多かろう)では一般的だが、武満はどちらかというと、声を持たず、沈黙する者たちの発する言葉に耳を傾けたかったのではないかと思う。また、そういった音楽に可能性も感じていたのだろう。彼が影響を受けたドビュッシーメシアンも、「沈黙」というものの捉え方が武満と類似しているように感じられる(類似もなにも、ドビュッシーメシアンの方が武満よりも先輩なのだけれど)。

そういえば、先ほど鴨居玲展を訪れた。鴨居玲の名を初めて聞いたのはずいぶん昔のことだと思うが、私にとっては彼自身よりも、彼の姉である鴨居羊子の名の方に親しみがある。鴨居羊子は下着デザイナーで、私は中学高校の頃、彼女のエッセイを好んで読んでいたのだった。彼女がデザイナーとしてどのような仕事をしたのかについてはよく存じ上げないが、エッセイストとしての彼女は、面白く、洗練された文章を書く人である。
一方、弟の玲がどのような画家だったのかは、不勉強ながらこの企画展に行ってみて初めて知った。
道化師。ペテン師。酔っぱらい。おっかさん。
悲痛で哀れな、非日常の世界に生きる人々。さびしい色の数々の中で、突如として目に飛び込んでくる、斜陽のような明るい赤。会場のキャパシティの問題なのか、あるいは当人のキャリアがさほど長くないためなのか、決して大きな展示ではなかったが、これまでどうして知らずにいたのだろうと思えるほどに心惹かれる画家だった。ややありきたりな言い回しになるが、社会の外側にいる者たちの哀愁に寄り添い、それを精緻に描き残している。

個人的にたいへん気に入ったのは、蛾をモチーフにした幾つかの作品だった。私はそもそも蛾という生き物が好きなのだが、それはさておき。

「しゃべることの空しさを描いたつもりで口から蛾が出ている絵を描いたら、蛾を食べているのかと言われた」

鴨居は「蛾」を声の象徴として描いた。日本では一般に、蛾は不気味な昆虫として忌み嫌われがちだが、海外生活の長かった鴨居も蛾にはポジティブな印象はなかったようだ。作品の中では、口から出た蛾に無関心を貫く人物もいれば、蛾を見て切なげな表情を浮かべる人物もいる。おしゃべりというものの忌まわしさや無力感が、様々な姿で描き分けられている。

鴨居は85年、自死によってこの世を去った。晩年の作品『肖像』には、疲れ切った表情の仮面と、その仮面を剥ぎ取った下にある、のっぺらぼうのような真っ白な顔とが描かれている。おしゃべりを嫌った画家は、この作品を遺し、永遠に黙してしまった。美術館には彼のアトリエを模し、遺品も展示されていたのだが、画材の横にはバイオリンとトランペットが並べられ、その奥には赤い絵の具で描かれた道化師の自画像が飾ってあった。声を嫌い、沈黙を好んだ画家のアトリエに、声を象徴するような楽器が2つも置かれていたというのは何やら示唆的であった。

沈黙というものは音の不在ではなく、我々に知覚してもらえない音の数々が亡霊のように蠢いている状態なのかもしれない、ということを帰りの新幹線の中でふと考えた。もうすぐ夏が来る。