こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじりましたが、特に外交論などを書く予定はありません。

コンサートホールにて

コンサートを聴きにきている。演目はショスタコの祝典序曲、ラフマニノフのピアノコンチェルト3番、ショスタコ10番。
ラフマニノフソリストが辻井くん(彼は少年の頃の印象が強いが私より歳上なので、ほんとうは辻井さんと呼ふべきだろう)だったのもあり、なかなかの盛況ぶりである。
今は休憩が終わり、ショスタコの第1楽章が始まっているが、休憩中にトイレに行っていたら開演時間に戻ってこられなかったため、仕方なくモニターで聴いている。この楽章が終わったら3階席に入場させてもらえるはずだ。

コンサートホールには何かと縁がある。
私の父はクラシックファンで、母はプロではないがピアノ弾きだった。両親ともに子供たちの誰かが音楽の道へ進むことを望んでいた。私と妹たちは楽器を習い、子供の頃から向学のため、しばしばコンサートホールを訪れていた。

「向学のため」とは言ったものの、結局、家族の誰も音楽家になることはなかった。17歳の頃は私にもまだ、いつかあの舞台に立ちたいという野心があった。けれど、今はもうそれも潰えてしまった。音楽家になりたいとは言っても、それは所詮10代の子によくある平凡な夢でしかなく、その選択を取らなかったことを後悔してはいない。だが時折、私が選ばなかったあの道はどこへ続いていたのだろうと、ふと考え込むことがある。

なんの因果か、学生時代のバイト先として選んだのも、やはりとあるコンサートホールだった。学生バイトの仕事は開演前と休憩中に割り振られており、それ以外の時間は比較的自由に過ごすことが許されていた。次の仕事の準備をしながら、ホールに設置してあるモニターとスピーカーで演奏中の曲を聴くこともできた。いつも私たちはモニターの近くのカウンターに体を寄せてしゃがみこみ、コーヒーをすすりながら交響曲やコンチェルトなどを聴いた。パリ管のラヴェルサンクトペテルブルクフィルのチャイコ、ああ、そういえば、辻井くんが演奏しにいらしたこともあった。曲は何だったか。
私たちは関係者用の裏口から出入りしていた。スタッフ用のカウンターを抜け、長い廊下を通ると、その日に本番を迎える演奏家たちの控え室があった。陽気なオーケストラのメンバーたちは一介のバイトに過ぎない私たちにも気軽に声をかけてくれた。一張羅をまとって輝く楽器を手にした彼らには、いつも貴族の風格があった。誰もが自信にあふれ、美しかった。もしかしたら、私にも人生のどこかで貴族の仲間になれる好機があったのかもしれないが、そんなことはどうだってよかった。私がそこにいたのは演奏するためでも演奏を聴くためでもない。ただ安い時給で自分のひまを買ってもらっているだけだった。仕事が終わり、ホールを去ったあと、終電に揺られながらしばしば思索に耽った。私はどうしてここにいるんだっけ?

先ほど、モニターの前のソファに体をうずめながら、そんな昔のことをとりとめもなく思い出していた。ショスタコーヴィチの第10番が朧げに聞こえてくる。これはスターリンの死後まもなく作られた交響曲である。
この第1楽章には、Shto v imeni tebe moym?(あなたにとって私の名前がなんだというのか)という歌曲の主題が使われているそうだ。ショスタコーヴィチが同名のプーシキンの詩に曲をつけたものらしい。私はロシア語がほぼ全くできないので、このサイトから日本語訳を引用する。ニコライ・リムスキー=コルサコフ あなたにとって私の名前が何だというのか?
その詩はこういった内容である。

あなたにとって私の名前が何だというのか?
それは悲しいノイズのように消えてしまうだろう
はるかな岸辺に打ち寄せる波のように
静かな森の中の夜のこだまのように

そこにあるのは何だ?久しく忘れ去られて
絶え間ない裏切りに満ちた悩みの中では
あなたの胸の中にもよみがえりはしない
輝かしくも清らかな思い出だ

だが、もし悲しくなったときには、おだやかに
私の名を口ずさむがいい
そうだ、誰かはきっと自分のことを覚えてくれているのだ
世界にはきっとある、私がまだその中に生きている心が…

「あなたにとって私の名前がなんだというのか?」という問いを、かつても今も私は発しつづけている。「貴族たち」とすれ違っていながら舞台に立つこともない人間の名前を、誰か覚えてくれる人があるだろうか。それでもいつか、私の名が誰かに呼んでもらえる日を待ち望みながら、何者でもない私は何者でもないまま暮らしてゆく。

第1楽章はもうすぐ終盤を迎える。すべての楽章が終わった時に惜しげなくオーケストラと指揮者に送られるであろう、大きな拍手を想像している。