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こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじりましたが、特に外交論などを書く予定はありません。

暮れ逢い

ルコントの『暮れ逢い』を観た。ルコントの作品は全く触れたことがなかったが、誰かがロメールに似ていると言っていたこと、タイトルに惹かれたこと、たまたまシネスイッチ銀座で上映中だと知ったことなどにより、なんとなく観ることにした。結論としては、話は非常につまらない。陳腐と言ってよかろう。なんで2015年にもなってこんなコテコテのロマンスが書けるのだろう。さらに言うとロメールには似ていない。他の作品では何かロメールと相通ずるものがあるのだろうか。

そんなわけで、ストーリーに何の面白みもないことは何度強調しても足りないが、印象に残ったことがある。「青」の使い方である。調度品は高貴な青で統一され、ヒロインの書く手紙の文字も青、そしてゲランの「ルール・ブルー(l'heure blue)」という名の香水。映画のいたるところに「青」がちりばめられており、それが映像を美しく彩っている。
これは余談だが(と言いつつうろ覚えの情報なので知識が怪しいのだが)、青は現在、ヨーロッパで最も人気のある色だそうだ。古代ローマでは青は野蛮な色とされ、中世まで紋章には赤が多用された。赤と青の地位が逆転したのは17世紀頃とのこと。
青いインテリアは落ち着きや知性や気品などという印象と関連づけられやすいが、その家で叶わぬ恋がはぐくまれるとなれば、青が何かとてももどかしい色のように思えてくる。情熱を燃やそうにも理性がそれを邪魔するために、恋を実らせることはできない。青い部屋というのは、主人公とヒロインのそういった胸の内を象徴しているのではないかという気がする。

まあそれにしても主人公の美青年のダメなことダメなこと。恋人を捨てて人妻にうつつを抜かした挙句、人妻と遠距離になれば関係をうやむやにしてまた別の女性と交際し、人妻と再会したらその女性をほったらかして「ずっと一緒にいよう」などと言ってしまう。カルメンのドン・ホセもびっくりな女癖の悪さである(少なくともホセは一回しか恋人を捨てていない)。この主人公を見ていると、頭と顔が良くて仕事ができるからといって、それが即その人の魅力につながるわけではないのだなと思ってしまう。

この作品に関して言いたいことはそれだけである。最後にひとつ。ピアノがそんなに上手くないらしき人妻がスタインウェイを持っていることに仰天した。これを宝の持ち腐れと言わずしてなんと言おうか。当時の相場は知らないけど、今だったらスタインウェイ買うお金で車買えちゃうよ。あとたぶん奈良県の山奥の家とかも買える。昔の実業家のおうちの財力をまざまざと見せつけられて悔しい思いをした。
以上。


コンサートホールにて

コンサートを聴きにきている。演目はショスタコの祝典序曲、ラフマニノフのピアノコンチェルト3番、ショスタコ10番。
ラフマニノフソリストが辻井くん(彼は少年の頃の印象が強いが私より歳上なので、ほんとうは辻井さんと呼ふべきだろう)だったのもあり、なかなかの盛況ぶりである。
今は休憩が終わり、ショスタコの第1楽章が始まっているが、休憩中にトイレに行っていたら開演時間に戻ってこられなかったため、仕方なくモニターで聴いている。この楽章が終わったら3階席に入場させてもらえるはずだ。

コンサートホールには何かと縁がある。
私の父はクラシックファンで、母はプロではないがピアノ弾きだった。両親ともに子供たちの誰かが音楽の道へ進むことを望んでいた。私と妹たちは楽器を習い、子供の頃から向学のため、しばしばコンサートホールを訪れていた。

「向学のため」とは言ったものの、結局、家族の誰も音楽家になることはなかった。17歳の頃は私にもまだ、いつかあの舞台に立ちたいという野心があった。けれど、今はもうそれも潰えてしまった。音楽家になりたいとは言っても、それは所詮10代の子によくある平凡な夢でしかなく、その選択を取らなかったことを後悔してはいない。だが時折、私が選ばなかったあの道はどこへ続いていたのだろうと、ふと考え込むことがある。

なんの因果か、学生時代のバイト先として選んだのも、やはりとあるコンサートホールだった。学生バイトの仕事は開演前と休憩中に割り振られており、それ以外の時間は比較的自由に過ごすことが許されていた。次の仕事の準備をしながら、ホールに設置してあるモニターとスピーカーで演奏中の曲を聴くこともできた。いつも私たちはモニターの近くのカウンターに体を寄せてしゃがみこみ、コーヒーをすすりながら交響曲やコンチェルトなどを聴いた。パリ管のラヴェルサンクトペテルブルクフィルのチャイコ、ああ、そういえば、辻井くんが演奏しにいらしたこともあった。曲は何だったか。
私たちは関係者用の裏口から出入りしていた。スタッフ用のカウンターを抜け、長い廊下を通ると、その日に本番を迎える演奏家たちの控え室があった。陽気なオーケストラのメンバーたちは一介のバイトに過ぎない私たちにも気軽に声をかけてくれた。一張羅をまとって輝く楽器を手にした彼らには、いつも貴族の風格があった。誰もが自信にあふれ、美しかった。もしかしたら、私にも人生のどこかで貴族の仲間になれる好機があったのかもしれないが、そんなことはどうだってよかった。私がそこにいたのは演奏するためでも演奏を聴くためでもない。ただ安い時給で自分のひまを買ってもらっているだけだった。仕事が終わり、ホールを去ったあと、終電に揺られながらしばしば思索に耽った。私はどうしてここにいるんだっけ?

先ほど、モニターの前のソファに体をうずめながら、そんな昔のことをとりとめもなく思い出していた。ショスタコーヴィチの第10番が朧げに聞こえてくる。これはスターリンの死後まもなく作られた交響曲である。
この第1楽章には、Shto v imeni tebe moym?(あなたにとって私の名前がなんだというのか)という歌曲の主題が使われているそうだ。ショスタコーヴィチが同名のプーシキンの詩に曲をつけたものらしい。私はロシア語がほぼ全くできないので、このサイトから日本語訳を引用する。ニコライ・リムスキー=コルサコフ あなたにとって私の名前が何だというのか?
その詩はこういった内容である。

あなたにとって私の名前が何だというのか?
それは悲しいノイズのように消えてしまうだろう
はるかな岸辺に打ち寄せる波のように
静かな森の中の夜のこだまのように

そこにあるのは何だ?久しく忘れ去られて
絶え間ない裏切りに満ちた悩みの中では
あなたの胸の中にもよみがえりはしない
輝かしくも清らかな思い出だ

だが、もし悲しくなったときには、おだやかに
私の名を口ずさむがいい
そうだ、誰かはきっと自分のことを覚えてくれているのだ
世界にはきっとある、私がまだその中に生きている心が…

「あなたにとって私の名前がなんだというのか?」という問いを、かつても今も私は発しつづけている。「貴族たち」とすれ違っていながら舞台に立つこともない人間の名前を、誰か覚えてくれる人があるだろうか。それでもいつか、私の名が誰かに呼んでもらえる日を待ち望みながら、何者でもない私は何者でもないまま暮らしてゆく。

第1楽章はもうすぐ終盤を迎える。すべての楽章が終わった時に惜しげなくオーケストラと指揮者に送られるであろう、大きな拍手を想像している。

昭和の映画と唄

突然だが、映画の中で登場人物が唄をうたうシーンが好きである。なぜわざわざ「唄」と書いたかというと、日本の俗謡や民謡をうたう際にはこの漢字の方がしっくりくるような気がしたためだが、特に深い意味はない。

 

有名なところで言うと、黒澤の映画『生きる』で、志村喬演じる主人公がブランコをこぎながら「ゴンドラの唄」を口ずさむシーンは非常に印象的で、観る者の心を打つ。男声、女声ともに様々な歌手がこの歌の録音を残しており、美空ひばりもその一人である。

私はこの「ゴンドラの唄」を聴くと、戦前のドイツのトーキー映画『会議は踊る』でヒロインが歌った「唯一度(das gibt' nur einmal)」を思い出す。この二つの歌には類似性も相違点も多いので、あながち同一視するつもりもないのだが。

 

さて、その「唄うシーン」の中でも、私がもっとも好きなのはこちらである。

 


のぞきカラクリの唄 映画「長屋紳士録」より 歌:笠 智衆 - YouTube

 

笠さん、良い声だなあ。

小津の戦後初の作品である『長屋紳士録』は、長屋の住人である田代さん(笠智衆)が、親のいない男の子を不憫に思い、連れ帰ってくるところから物語が始まる。みな面倒がり、自分のところでは預かれないと言って互いに子供を押し付けあうが、ついに子供嫌いの中年女性おたね(飯田蝶子)が子供をしぶしぶ泊める羽目になった。最初は疎ましく思っていたおたねだったが、子供と共に暮らしてゆくうち、徐々に態度も軟化してゆく。いつしかおたねは、その子を愛するようになるのだった…というお話。

この「のぞきカラクリの唄」は、宴会で皆にせがまれて笠智衆が歌うのだが、長屋の住人たちが箸で茶碗を叩いて拍子を取るのも愉快で、黙って見ていた住人の息子がつられて自分もリズムを取りはじめてしまうのもかわいらしい。そういえば、笠智衆は『彼岸花』でも、同窓会のシーンで同じように皆に頼まれて詩吟をやってみせていた。派手な歌声ではないけれども、映画に華を添える素晴らしい声だと思う。

 

小津作品の「うたうシーン」といえば、『淑女は何を忘れたか』で、突貫小僧らが、渡辺はま子の「とんがらかっちゃ駄目よ」を速いテンポで歌いながら地球儀をまわす遊びをしていた場面も面白い。


とんがらかっちゃ駄目よ 渡辺はま子 - YouTube

渡辺はま子は「忘れちゃイヤよ」の「ねえ」の歌い方がエロチックに過ぎるという理由でレコードが発禁処分を受けるという憂き目を見ているが、彼女は早稲田大学野球部の応援をすべく歌ったこともあり、そのときはそのエロチックな歌い方が学生に大ウケしたのだそうだ。そういえば『淑女は〜』でも桑野通子が「早慶戦のときはまた東京に来る。あたし早稲田大好き」と言うシーンがあるなあ。

 

そうそう、木下恵介の『日本の悲劇』で、望月優子がツーレロ節をうたうシーンも好きだ。彼女の役どころは、義弟に土地を騙しとられて一文無しになってしまった二児の母である。温泉街の女中として働くことになった母は、酔った客の前で三味線を弾きながらこの歌をうたう。


ツーレロ節(美ち奴) - YouTube

ツーレロ節にはたくさんの詞があるようだが、劇中で彼女がうたっていたのは「きみと僕とは羽織の紐よ かたく結んで胸に抱く胸に抱く ソレ ツーツーレロレロツーレーロ、ツレラレトレツレトレシャン、ツレラレトレシャン、シャン、シャン」という歌詞だったと記憶している。客に媚態を晒す母親の、愚かで滑稽でおそろしいほどに哀れな姿が思い出される。

 

眠たくてところどころ日本語のおかしな部分があるかもしれないけど、修正するのもおっくうなのでそろそろ寝ることにする。

映画の話(新作編)

今年は映画を100本とは言わないまでも80本前後観て、そのおかげでかなり充実した生活を送れたような気がする(映画ファンからすれば大した数ではないのかもしれないが、私は根っからの映画好きというわけではないので、意識して多くの映画を観ることはあまりない)。家ではDVDを観て、週末には映画館に足を運び、日常の様々な出来事が観た映画と密接に関連している、そういう一年だった。その代わり読書量は例年より少なかった。たぶん200冊も読んでいないのではないか。

 
3月にオゾン監督の『17歳』を観た。今年の新作の中で最も好きな作品を挙げるとすればこれが真っ先に思い浮かぶ。彼の監督作品の中では他にも『スイミング・プール』や『まぼろし』などもかなり見応えがあったが、『17歳』はその中でも傑出していると思った。『スイミング・プール』のときにも感じたことだが、彼の撮る若い女優は時折、幼さと成熟を共存させたような振る舞いをすることがあって、その危うげなバランスが観る者に新鮮な感銘を与えるのだと思う。
ところでオゾンとシャーロット・ランプリングのコンビはとてつもなく素晴らしいので、これからも息の長い女優業を期待したい。
 
オゾン監督以外で今年度注目していた監督の一人がカナダ人のグザヴィエ・ドラン。彼は19歳でデビューした、現在25歳の早熟な鬼才である。処女作の『マイ・マザー』は高校生のゲイの男の子とその個性的な母親との間の確執や愛憎を描いた物語。ちなみに主人公の高校生はドラン監督本人が演じている。
私が今年最初に観たのは彼の一番の話題作と言っていい『わたしはロランス』だった。まず惹きこまれたのは、映像の色彩的な美しさである。主人公のロランスとその妻フレッドとがふざけて洋服を投げるシーン、後半の、空からたくさんの服が降ってくるシーン。その二つの情景は目に鮮やかで、記憶の中の二人の過去の幸福な場面を一瞬で蘇らせる。こういった、圧倒的な色のセンスを持った監督は、他にあまり思い当たらない。
ロランスは性同一性障害の青年で、フレッドはそんなロランスを一度は拒絶するが、時が経つにつれ少しずつ彼のあるがままの姿を受容してゆく。けれど、二人は別離の運命を迎えてしまう。2時間半に渡って描かれる、リアルで克明な、少し変わった夫婦の物語。
 
ちなみに、ドラン監督は自身が同性愛者であることを公言しており、作品にもセクシュアルマイノリティの登場人物は多い。しかし、そのせいで「ゲイが作ったゲイフレンドリーな映画」という点が過剰に強調されてしまい、ある種の色眼鏡をかけて観られることが多くなってしまうのでは、と私は危惧していた。実際、彼の映画のレビューには、「監督は同性愛者だから〜」といったコメントが非常に多い。また、そのせいで彼の映画が私小説的な作風にとどまってしまうとしたら、それは非常にもったいないことだとも思っていた。
その杞憂を払拭してくれたのが、秋に公開された彼の新作『トム・アット・ザ・ファーム』である。これは今までの作品とは雰囲気を一新した、ミステリともホラーとも言えるチャレンジングな映画だった。主人公のトム(同性愛者)が交通事故で亡くなった恋人の葬儀に出るため、田舎にある恋人の実家を訪れたところ、驚くべき事実が判明した。実は、恋人はトムの存在を家族に隠していたばかりか、会社の同僚と付き合っているという嘘をついていた。さらに、恋人の兄は暴力的な性格で、同性愛者であることを人に漏らすなとトムを恐喝する。閉鎖的な田舎の社会に足を踏み入れたトムは、日が経つにつれ亡き恋人の兄に支配されてゆき、やがてそこから抜け出すことができなくなる…。田園地方の寒村の人間関係が織りなす狂気と、脱出したくてもできないトムの不安や焦燥とが、異常なまでの緊迫感をこちらに与えてくる。良い作品だった。どことなくオゾンの影響も受けている気がした。
 
長くなってしまったので割愛するが、ドラン監督の作品はすべてかなりの佳作だった。音楽も映像も監督のセンスの良さが出ている。音楽は特に『胸騒ぎの恋人』が良かったな。天使のような美形の青年ニコラが、きまぐれな愛で主人公たちを振り回す、かわいらしくて切なくて奇妙な三角関係のお話。
 
新作以外の映画についてはまた別の記事で書くかもしれないし、面倒になって書かないかもしれない。
Anyway, happy new year!