こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじったものの内容は関係ない。

最近思っていることについて

最近大学の同窓会等々に顔を出す機会が多いので、数年来の友人に改めて自己紹介をすることが多い。このブログを開設してからどうやら5年が経過したらしいが、その間に学位を得て就職して最近転職もした。自己紹介の際にも概ね同じようなことを言っている。

 

今の業務について詳細を書くことは当然できないけれども、自分にとって大きな変化が2点ほどあったのでつらつらとここに書こうと思う。ちなみに一般論として語るつもりはないので、下記ではあえて一人称を強調しておく。

1つ目は、「世の中には本当にいろんな仕事があり、そのすべてに人が関与している」ということを改めて考えるに至ったということで、これは単なる例え話だけれども、遊園地を一つ動かすのにも、開発者やらオペレーターやら設備メーカーやら出資者やら、場合によっては関連する分野のアカデミアやら、気が遠くなるほどのステイクホルダーがいるということを、以前の私はあまりわかっていなかったのだと思う。事業を動かしている有機的な構造の全体について目を向ける機会は、前の仕事を続けていたら得られにくかったものの一つかもしれない。そしてステイクホルダーというのは細分化すれば人なのであって、ある事業に、あるプロジェクトに関心を持つということは、どこかの段階で人の考えに関心を持つことにつながる…と私は現在考えているのだが、自分がそう考えるようになったのは予想もしないことだった。

 

2つ目としては、自分の役割は何かということを真剣に考えるようになり、その結果として、自分自身がオールマイティ、あるいは多機能的であることに以前ほど関心を持たなくなったことである。

昔の私は自分の能力や機能を高めること、あるいは潜在的に何らかの能力を身につけることのできる素地を持つことに大きな価値を置くようなところがあったのだが、それらに対する絶対的な信奉を以前ほど持たなくなった。それよりは、自分の手持ちの能力や機能を(使えるものは全て)使って、ここで何をしていかなければならないのかについて明確化するということを意識するようになった。個々の機能を洗練することや、将来の成長可能性を示すことも重要ではあると思っているが、結局それが自分の役割にとってどう活かされるのか?ということに結びつかないと、持ち腐れになりかねない。

 

長年、私は自分の能力不足に対する漠然とした焦燥感を必要以上に持ち続けていて、あの技能を持つまでは/あの資格を取るまではスタートに立てない、と思うことが多く、それが完全に間違っていたとまで言うつもりはないが、今にしてみると、技能を持つことが目的化してしまって本来の目的に踏み出せなくなるという罠にはまっていたように思う。

 

ここで何をしなければならないのか?役割とは何なのか?と問うことで、そのあたりの考えがもう少しシンプルになった。自分の役割というものは、その集団の中に自分がいることで相対的に決まることもあるし、集団の方から特定のポジションを提示される場面もあると思うが、いずれにせよその際に重要になってくるのはその立場から集団に貢献できるような最適解や知見を差し出すことであり、何かの能力や機能を持っていることそれ自体ではないと考える。自分が既に持っている一見つまらない機能がその場の役割にとっては非常に重要かもしれないし、自分が必要だと思っていた機能は既に他の人の方が良いものを持っているかもしれない。

 

以上の2点を総合して最近思っていることは、誠実さや人柄の良さって大事だなということである。新卒の頃にはよく「会社ではコミュニケーション能力が大事!」と言われるときのコミュニケーション能力ってなんだよと思っていたけれど、あれは「揉め事を起こさず癇癪を起こさず、他の人の話を丁寧に聞きつつ自分の意見もナイスに述べよ」くらいの意味ではないかとなんとなく思っている。それができない人は驚くほど多いし、自分もできているとは言い難い―逆にそれを徹底することは、自分の仕事の中では、時に他の能力が少しばかり高いこと以上に重要になってくる場面もある。

 

そんなわけで現在目指しているのは、様々な関係者の調整が円滑にでき、自分の役割外のことは他の人とチームワークをうまく組める、人に好かれる好々爺である。ちなみに、社内における私のメンターはそれに近い人物なので、彼を身近でモデルにできるのは僥倖だと思っている。