こんこん録

きつねが覚えたての日本語で書いてます。睦奥宗光の『蹇々録』をもじりましたが、特に外交論などを書く予定はありません。

シンゴジラ

ネタバレを防ぐためにこちらに書くけれど(まあこの映画ネタバレも何もない感じなのだけど)、シンゴジラはよかった。ただゴジラの血液ーあの高音の体内で流体ってどういう物質なんだろうーの成分と、ゴジラの体内にいるという未知の微生物の正体と、ゴジラの生殖システムと、海の中でどうやって生きていたのかというあたりが気になった。そもそもアレが生き物だという根拠は、最初に「尻尾が見えますね。生物だ」というセリフのみであり、生殖もせず死の定義も不明な物体を生物と呼ぶのはどうなのか、と思ったけれども、まあ遺伝子情報があるということは生物ではあるのか?そして別に生物の複雑性はDNAの数で決まるようなものでもないような気がしたけれど、この辺は私にはようわからん。

 

字幕で「人間を信じましょう」と書かれていたドイツ人のセリフ、音声では「日本人を信じましょう」になっていたと思うけれどもこれには何か意図があるんだろうか。

杏っ子

ここ最近の余暇はスポーツにばかりのめり込んでいたのだが、先週末に怪我をしてしまった。
大して深刻ではない(手術等は要らない)が、確実に良くなる治療法というものもないし、いつ治るかわからないし予後も少し不安なので、おかしな話だがしばらくは引きこもって精力的におとなしくしていようと思う。ちょうど梅雨に入る頃であるし。

この3日間で映画を5本観た。『赤い殺意』『けんかえれじい(2度目の鑑賞)』『夢二(これも2度目)』『秋立ちぬ』『杏っ子』。こうしてみると私は成瀬巳喜男という人がわりと好きなのかもしれない。成瀬のいくつかの代表作は率直に言ってあまり面白いと思えなかったが、比較的地味な作品の持つ特有の深みは何度も味わいたいと思える。成瀬を評して「なんとはないことが積み重なっていく良さ」と言った人があったように思う。今ではこういった評価も幾分か色褪せた凡庸なものになってしまっているが、成瀬については私もそうとしか言いようがない。

杏っ子』は、偉大な作家の父を持つ幸せな娘・杏子が恵まれない結婚をする話で、原作は室生犀星であるが、小説のごく一部だけが抜粋され、映画化されている。杏子を演じているのは香川京子

この作品で最初に印象に残ったシーンとして、ピアノのあるお家が「幸福で何不自由なかった娘時代」の象徴として出てくること、そして後に夫婦の生活が破綻したあとにそのピアノを手放してしまうことを挙げたい。
私は香川京子のプロフィールはあまり詳細に存じ上げないのだが、杏子がピアノを弾くシーンを観て、香川さんはこの時代の女優には珍しく、多少ピアノの素養のある方なのではないかと思った。昭和初期の映画にもピアノが使われるものは多々あるが、例えば原節子はピアノの弾き真似がとても下手なので、楽器を触ったことがほとんどないのだろうということがよくわかる。『けんかえれじい』でも道子がピアノを弾くシーンは重要なものとして出てくるが、こちらも腕や肩の動かし方が不自然である。香川京子は劇中で実際に鍵盤に触ってちゃんと弾いているし、それなりに動きがこなれているので、おそらく女学校かどこかで習ったのではないかなという気がした。いずれにせよこの頃の女優でピアノの演技ができる人は貴重だったのだろう。

杏っ子」というなんとも無邪気で素朴なタイトルはいかにも室生犀星の言葉だが、映画と小説とに連続性はないと言っておいた方がいいかもしれない。小説はどちらかというと私生児として育てられた犀星の自伝的な意味合いが強いものだし、杏子ではなく父・平四郎の一人称視点から語られる。平四郎は映画ほどに善人でもなければ良い父親でもないのだが、それは別の話として脇に置いておきたい。

杏子は懐の深い裕福な両親から大切に育てられた娘である。近隣の家の息子の母親が、「宅の息子には縁談があるのでおたくのお嬢さんと付き合ってもらっては困る」と苦情を述べに来たあと、平四郎は「お宅の息子さんが大切であるのと同じように、私の娘は大切な子であるのだ」とやり返す。作品の中で平四郎は良き親であり寛大な人物である。そして作家であるためなのか、当時の価値観と比べるとずいぶんリベラルな父親のようにも思える。
そうして慈しまれて育った杏子の生活は結婚によって一変する。夫は平四郎の才能を憎み、平四郎に醜悪な嫉妬心をぶつける。平四郎が偉大であるがゆえに、彼はいかにも卑屈な人物として描写される。
杏子はそのような夫を愛せず、疲弊し、頻繁に実家に戻るようになる。現在の境遇と過去の幸福とを杏子自身も対比させているようなところがあり、夫は酒浸りになり、夫婦生活は金銭的にも破綻を迎えてゆく。ごく短い映画であるが、一人の女性が経験する家庭の幸福と家庭の悲劇とがともに描かれる。
夫の卑屈さや暴力性は恐怖感を伴うというよりもむしろ弱い人間の哀れさを示すようなものであり、成瀬はこういった弱くてどうしようもない人間を本当に巧みに描くのだなあと思っている。

フィルムの状態が少し、というかそこそこ悪いので、生で観るチャンスはもうあまりないかもしれず、時間を作って観に行ってよかったと思える作品であった。

中国とインドのイノベーション活動についての比較

今週頭、インドのNational Centre of developement studiesの教授の講演会が実施されたので聞きに行きました。

以下、議事録です。私用のメモであり、長い上にまとまりがありませんがご容赦ください。スライドは配布されましたがここには載せないので一部わかりにくいかもしれません。

 

二国の類似性と相違、概括

中国とインドはしばしば類似していると言われるが、経済の規模や経済構造などは異なる部分も大きい。

まず、実質GDPでいうと中国はインドの3倍くらいである。中国とインドの統計局の数字はトリッキーであり、批判の的となることがよくあるが、世銀等の調査を見ても、中国の方がずっとインドより大きく、ここに第一の相違が見出される。

 

経済構造は農業、工業、サービスの3つのセクターの貢献度合いによって測定される。工業の中でも製造業は産業セクターの重要なコンポーネントである。中国は製造業が高い貢献を示しているが、インドではサービスセクターが支配的である。ほとんどの技術革新は製造業によって生まれるため、その意味でインドにはディスアドバンテージがある。

中国は世界工場と言われるくらいに製造業の付加価値が重要な部分を占めている。インドも同じように言われるが、世界ランキングでは6位であり、中国よりずっと規模が小さい。

 

この二国は世界でもっとも急成長している国と言われる。特にインドは中国よりも今後の成長が早いと推計されている。では成長の原動力となっているのは何だろうか。

より多くの資本や労働力を使えば経済的成長は起こりうるが、同じレベルの資本と労働力を使ってよりよいアウトプットに転換することができればそれはテクノロジーが成長に貢献したことを意味する。この二国の早い成長は資本や労働力をふんだんに使っているからなのか、それともテクノロジーの寄与が大きいのかどちらだろうか。

 

中国とインドでは所得の不公平があり、拡大している。IMFはこの二国の国内の格差について、南米諸国よりも高いという見解を示している。

中国におけるジニ係数は、99年では33%だが、2013年では53%に広がっている。インドは45-50%である。つまり成長率は高いが、様々なセクターが除外されていることに注意する必要がある。

 

テクノロジーの貢献度を測るため、成長率が資本や労働力によるものでないかどうかを調べる方法がある。代表的な例は以下の通りである。

 

  • GDPの成長率と資本の成長率とを比較する

これによると、物理的なインフラへの投資が影響しているのは間違いないが、中国とインドのGDPの高成長率は単に安い労働力を使っているためではないということがわかる。この二国は高成長なだけでなく、リソースを効率的に使って成長しているということである。

  • global inovation indexという複合指標を用いる

07年から241カ国を比較し、イノベーションの質を測定するという方法である。具体的には、学術論文の引用数、取得された特許の数、大学のランキングなどの因子を使う。これによると、中産所得国の中では中国、インド、ブラジルはこのindexが高い。特に宇宙・航空の技術は中国インド共に好成績であり、08年から14年までの期間において、日本、ロシア、ドイツと並んで大きな競争力を培っている。

 

さらに中国は世界の主要な通信機器の40%を輸出している。20年前は中国の比率は0だった。0から40%にまで躍進したということである。香港を中国に含めるとこの数値は54%にも上る。

中国のパフォーマンスは分野が限定されている。電子機器のシェアも大きいが、中国ブランドというものはない。しかし通信機器には中国にブランド力がある。

インドについては世界最高のコンピューター、サービスの輸出国である。ここでいうコンピューターはハードではなくソフトウェアサービスという意味であることに留意されたい。

 

R&D指標について

Gross domestic expenditure on R&D (GERD)とは、GDPに占める研究開発費の比率を知るための指標である。主に、(1) インプットの測定指標(企業が研究開発をすること)と(2) アウトプットの指標(研究開発のアウトプット、取得した特許の件数、イノベーションの速度)がある。

GERDは中国もインドも同じレベルからスタートしたが、いまや中国はGDPの2%を研究開発に投資し、かなりのリソースをイノベーションの活動に使っている。フランスは1.8%なので、中国はすでにフランスをしのいでいると言える。一方、インドのGERDは1%に満たない。また、2013年のGERDの歳出額を国際比較すると、中国はアメリカに続く第2位であり、ランクは上昇を続けているが、インドは7位に留まっている。

 

中国におけるGERDの7%は企業によるものであり、この数値は日本、韓国、ドイツと比肩しうる。つまり中国ではR&Dにおける政府の役割は下がっており、堅牢な形で発展してきたことを示している。多くの世界の主要国も同様で、韓国も70年代には政府主導だったが今では企業主導である。

インドも政府のシェアは下がり企業によるものが増えているが、高等教育機関、大学によるシェアには変化がない。インドのR&Dは中国に8倍もの差をつけられている。

技術の専門性を見てみると、中国は主に通信機器、コンピューター、エレクトロニクス、化学、自動車などが主流である。インドは製薬・化学と自動車工業が優位である。

政府主導から企業主導になるのは有利な流れであるが、政府の役割も決して小さくはない。中国では70年代以降に多くの企業が誕生したが、国営企業も重要であるため、政府は大きな影響力を持っている。Huawelが民間セクターかどうかも定かではない

 

インドに関しては政府がR&Dへのシェアを減らしており、最新の予算では研究開発の助成金減ってきている。さらに、研究開発を行う科学者やエンジニア等の人材が不足しており、供給過小に陥っている。

インドの企業はイノベーションへのインセンティブがない。寡占状態が続いているため競争がないためである。たとえば、韓国も寡占的なのは同じだが、輸出国間の競争はあるので、そこでイノベーションが生まれている。

 

研究員一人当たりの研究開発費については、購買力平価では一人当たりの支出は全く同じなのでインドと中国には差がない。次に社内の研究開発に占める支出と外国から技術を輸入する支出の比率(この二つの支出は補完関係にあるといえる)を見てみると、07年では中国とインドは同じレベルだった。現在、平均的な中国の企業は、技術輸入に占める費用の割合よりも社内の研究開発への支出が12.7倍高い。ところが、インドの企業は07年から比べて外部依存的になっており、しかも年々悪化している。

 

オフショアリングリサーチという言葉がある。インドは研究開発の拠点として世界で一番有利な場所である。製品設計やエンジニアリングでもインドは好まれる。中国もその傾向はあるがインドほどではない。

これはどのような意味合いを持つのだろうか。

インドは研究開発を多国籍企業が行っているのであって、インドの企業が行っているわけではないということである。日本でも、HITACHIやSUZUKIは研究開発のかなりの部分をインドで行っている。インドで多くの研究開発が増えているのは多国籍企業の功績によるものということである。

一方、中国は国内の企業が研究開発を行っている。ここに大きな違いがある。

 

研究開発のコストを測る指標として、「どれほどのお金をかけたらアメリカの特許を1件取得できるか」というものがある。

2011年の時点で、中国では5900万USD、インドは1300万USDである。研究開発の効率はインドの方がよく、低コストでR&Dが可能ということである。多国籍企業がインドで研究開発を行うのはここに理由がある。

中国もインドでR&Dを行っている。量はともかく、質はインドの研究開発の方が中国よりも高いが、これを行っているのはインドの企業ではなく多国籍企業であることを繰り返しておきたい。

 

R&Dのアウトプット指標に特許の件数がある。米国は最もよい発明のみに特許を与えるため、米国の多くの特許はイノベーションの量だけでなく質も測ることができる。

多くの国で、管轄庁はその国の発明のみに特許を与える。もし世界標準の特許が欲しいならばPCTの特許を出願する必要がある。

 

まず国の管轄庁による特許だが、ほとんどの発明は居住者によるものである。たとえば日本の特許庁の過半数は日本の個人や企業による。中国(SIPO)の特許もほとんど中国の居住者に与えられている。一方、インド(IPO)を見るとほとんどが多国籍企業であり、インドの企業の発明ではない。

 

技術の専門性について

中国はエレクトロニクスに、インドはコンピューターテクノロジーに強みを持つが、インドではコンピューターのソフトウェアに特許は認められない。2004年から短期間与えられていたことがあったが今はハードのみに与えられる。製薬についてはインドの企業の特許件数も多い。

USPTOを見てみると両国ともシェアは劇的に増えている。中国のシェアは2.7%、インドは1%に上る。ほとんどはアメリカ、日本、韓国、台湾、ドイツ等の国であるが。韓国と台湾は米国における特許取得においてヨーロッパをしのいでいる。

件数で見ると中国は9000件、インドは3500件である。アメリカの特許のデータは実用特許と意匠(design)特許が区別されている。実用特許は新しい発明に与えられるため、そちらの方がイノベーションは高い。インドはほとんどが実用特許であり、中国も比率は同じである。

中国の企業Huawei、ZTE、精華大学はアメリカでの特許保持者の主要なプレイヤーであるが、インドの場合はCSIRを除いてほとんどインドの企業がない。

イノベーションを促進させるための提言として、以下の3つの条件がしばしば挙げられる。

 

①実用特許の比率が増えなければいけない

②国内の企業の数が高くなければならない

③個人の発明家の比率が減って企業が増えなければいけない

 

①の条件は二国とも満たしている。②をインドは満たしていない。中国は③を2000年代半ばに実現したため、中国は全ての条件を満たしている。

 

政府の役割

中国は1979年の開放政策以来、ハイテクに焦点を当てて集中的にイノベーションに投資している。インドは「技術開発は自立させる」ということが言い慣らされていたが、アドホック的なものであり集中的な政策ではなかった。この数年間ではインドは注意深くなっているが、あまりにも最近のことであり、まだ結果は出ていない。

 

中国は公営の研究所を民営化し、それがイノベーションを加速させている。インドも同じことが行われてはいるが研究所への助成金が減ってしまったため、成果はまだ生まれていない。

 また、中国はハイテクへの税制面での優遇政策が行われているが、インドはそうではない。インドも宇宙と原子力だけは例外である。

Huaweiのイノベーションの順位は上がっている。韓国のサムソンは米国の特許では1,2位を争うプレイヤーであり、韓国と同じ道を中国も歩むと思われる。しかしインドで最もランクが高いのは760位に過ぎない。それはコンピューターソフトウェアのイノベーションによる特許である。

 

大学の役割

中国の大学は改革を続け、科学と工学に強みがある。大学の指標は何を使うかにより変わるのでトリッキーだが、どの指標でも科学技術で中国は評価を受けている(社会や人文ではそうではない)。中国の大学からスピンオフされた技術が企業に使われることもある。

インドの大学は改革が不十分で、世界ランキングにインドの大学は入っておらず、R&Dにおいても、産業に大学から生まれた技術が使われていることはほとんどない。

 

人材面でもインドではエンジニア、正社員の科学技術者の数が不足している。中国には353万人のR&Dのエンジニアがいるが、インドは100万人以下であり、まだ50万人にも達していない。

中国は1万人の労働者のうち43人がエンジニアだが、インドの場合はたった9人である。ちなみにフィンランドは250/1万人である。インドは人材が少ないが効率的に動いているとは言えよう。

 

インドに比べ中国は多くの外国直接投資を誘致している。

中国のFDIは香港やシンガポールによってもたらされることがあるため注意が必要だが、それを差し引いたとしてもインドと比べて多額のFDIを誘致している。

中国は多国籍企業からのspill-overを行うことによって開発の能力を高めてきた。インドはまだいろんなspill-overがあるとはいえまだ自立的とは言えない。

 

インドでも中国でもハイテク分野のベンチャーは活発になってきているが、インドは2016年1月になってようやく政府がアクションプランを打ち出し、財政、非財政におけるインセンティブを示した。中国政府の動きは2015年に始まっている。つまり二国とも最近になって施策ができたので効果測定は時期尚早である。

 

インドは中国に対し技術開発の集約度は低い。しかしインドは近年、フルーガルイノベーションのハブとなっている。フルーガルイノベーションという言葉には特に定義はなく、記述があるだけである。例えば、車や医療機器などを作るのに1万ドルかかったとする。それと同じものを量産し、サービスを低下させずに1000ドルで売ることができるとすれば、これがフルーガルイノベーションである。

インドの場合は多国籍企業によってこのフルーガルイノベーションが行われている。ただし多くはパイロットプロジェクトであり、市場で買えないこともある。心電図のコストを大きく下げる技術などは時間や空間を超えて複製することができ、先進国にも輸出されている。

フルーガルイノベーションは機能を減らすことによって行う場合はあまり普及しない。例えばナノカーがその例だが、インドでも失敗した。フィーチャーを減らしてコスト削減を実行したため、消費者に好まれなかった。

外国の大学でもフルーガルイノベーションに取り組むことがあり、スタンフォード大学では医療機器を安価に作るというプロジェクトが実施された。

2015年

気づけばこのブログを更新しないまま半年が過ぎてしまい、はや新年である。

去年の夏以降は仕事に関係のない本もあまり読まず、文化的な体験もあまりせず、日々の業務にただ忙殺されていた。それが奏功してかつまらない思索に耽るようなことも少なかった。このブログは私のつまらない思索を文章化したものであるから、その機会がなかったゆえに更新頻度が下がったとも言えよう。

今朝はベッドで小津の『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』を鑑賞していた。この作品を観るのはこれで3度目となるが、YouTubeに上がっているものをiPhoneのこんな小さな画面で観るのは初めてだった。動画には英語の字幕が付いていた。「偉くなる/偉くなんかない」という台詞がbe somebody/nobodyと訳されていた。日本語の「何者かになる」「何者にもなれない」という表現はもしかしたら英語経由で輸入された言葉なのかもしれない、とふと思うなどした。私は何者にもなれないまま歳をとっていくのだろう。しかし私が歳をとったあとの世の中は果たして、何者でもない者がのうのうと生きていられる環境なのだろうか。


沈黙と蛾ー踊り候へ

日曜日も終わる。忙しいのとは少し違うが、日々はめまぐるしく過ぎてゆく。かつては時計ばかり見る人間にはなりたくないと思っていたが、残念ながらそうならざるを得ない部分もある。昔茶道を習っていたことがあった。茶室には時計がない。茶室は定量的な時間の制約を受けることのない空間のように思える。ただし、朝がた生けた花の蕾が気づくと開いていたり、釜のお湯が熱くなったり、あるいは足が痺れたりと、時間の経過を示すヒントは至るところにある。私はお茶のお稽古は嫌いだったが、茶室に流れる時間が好きだった。季節の花も、それをモチーフにしたお菓子も、季節に合った佇まいも、先生のおうちのお庭の植物たちが勢いづいたり枯れたりすることも。測らなくたって、時間は確かにそこにあるでしょう、という教えは、お茶を辞めてからしばらく経っても時折思い出すものだ。

私の敬愛している作曲家の一人に武満徹という人がいる。彼は『音、沈黙と測りあえるほどに』という著作の中で、宮内庁で初めて雅楽を聴いたときの体験についてこう書いている。「雅楽はいっさいの可測的な時間を阻み、定量的な試みのいっさいを拒んでいた」。雅楽に関する武満のこの表現は、私が茶室という空間に関して思うことに似ている。武満の音楽を解釈するのは難しい。それに、彼自身がすぐれた文筆家でもあったので、私は彼の音楽について意味のあることを語る術も持たないのだが、あえてこういう言い方をすれば、武満は音以上に、沈黙の深みについて考え続けた作曲家ではないかと思っている。
音と沈黙を独立したものと考え、それらを並べてひとつの体系を作る作曲技法は、西洋音楽(などという大雑把な括りは嫌う人も多かろう)では一般的だが、武満はどちらかというと、声を持たず、沈黙する者たちの発する言葉に耳を傾けたかったのではないかと思う。また、そういった音楽に可能性も感じていたのだろう。彼が影響を受けたドビュッシーメシアンも、「沈黙」というものの捉え方が武満と類似しているように感じられる(類似もなにも、ドビュッシーメシアンの方が武満よりも先輩なのだけれど)。

そういえば、先ほど鴨居玲展を訪れた。鴨居玲の名を初めて聞いたのはずいぶん昔のことだと思うが、私にとっては彼自身よりも、彼の姉である鴨居羊子の名の方に親しみがある。鴨居羊子は下着デザイナーで、私は中学高校の頃、彼女のエッセイを好んで読んでいたのだった。彼女がデザイナーとしてどのような仕事をしたのかについてはよく存じ上げないが、エッセイストとしての彼女は、面白く、洗練された文章を書く人である。
一方、弟の玲がどのような画家だったのかは、不勉強ながらこの企画展に行ってみて初めて知った。
道化師。ペテン師。酔っぱらい。おっかさん。
悲痛で哀れな、非日常の世界に生きる人々。さびしい色の数々の中で、突如として目に飛び込んでくる、斜陽のような明るい赤。会場のキャパシティの問題なのか、あるいは当人のキャリアがさほど長くないためなのか、決して大きな展示ではなかったが、これまでどうして知らずにいたのだろうと思えるほどに心惹かれる画家だった。ややありきたりな言い回しになるが、社会の外側にいる者たちの哀愁に寄り添い、それを精緻に描き残している。

個人的にたいへん気に入ったのは、蛾をモチーフにした幾つかの作品だった。私はそもそも蛾という生き物が好きなのだが、それはさておき。

「しゃべることの空しさを描いたつもりで口から蛾が出ている絵を描いたら、蛾を食べているのかと言われた」

鴨居は「蛾」を声の象徴として描いた。日本では一般に、蛾は不気味な昆虫として忌み嫌われがちだが、海外生活の長かった鴨居も蛾にはポジティブな印象はなかったようだ。作品の中では、口から出た蛾に無関心を貫く人物もいれば、蛾を見て切なげな表情を浮かべる人物もいる。おしゃべりというものの忌まわしさや無力感が、様々な姿で描き分けられている。

鴨居は85年、自死によってこの世を去った。晩年の作品『肖像』には、疲れ切った表情の仮面と、その仮面を剥ぎ取った下にある、のっぺらぼうのような真っ白な顔とが描かれている。おしゃべりを嫌った画家は、この作品を遺し、永遠に黙してしまった。美術館には彼のアトリエを模し、遺品も展示されていたのだが、画材の横にはバイオリンとトランペットが並べられ、その奥には赤い絵の具で描かれた道化師の自画像が飾ってあった。声を嫌い、沈黙を好んだ画家のアトリエに、声を象徴するような楽器が2つも置かれていたというのは何やら示唆的であった。

沈黙というものは音の不在ではなく、我々に知覚してもらえない音の数々が亡霊のように蠢いている状態なのかもしれない、ということを帰りの新幹線の中でふと考えた。もうすぐ夏が来る。

観梅

新居の契約をおおかた済ませた。あとは引っ越すだけという具合である。
今月は5回熱を出し、5日に1度のペースで喘息の発作を起こした。それでもまだこれは軽い方らしく、夜中に咳き込む程度で済んでいる。私の親族にも喘息患者がいるが、彼は若い頃、盆正月のたびにひどい発作を起こし、何度か大学病院に入院したそうだ。自分の苦しさを相対化するのもつまらないことだが、こと病気の苦しさに関しては「自分はそう重症ではない」と考えることにはそれなりの意味があるのだろう。大したものではないと思えれば希望も湧く。

先週は福島県いわき市を旅行した。計画性の無さが災いして慌ただしい旅になってしまい、観光らしい観光はしなかったが、今年初の(そしておそらく今年最後の)観梅に行けたのはとても良い思い出である。いわきの人は皆親切で、どこでも食事は安く美味しかった。いわき駅の付近はなかなかに賑やかで、ここに住みたいとすら思った。震災の影響により、店や宿や観光名所の幾つかは閉鎖されていたのが心残りである。震災前に訪れられれば良かったのだが。

観梅をしたのは「梅林寺」という湯本駅近くのお寺で、濃い色の梅から白梅までが連なって咲いており、たいそう美しかった。
梅は古いことばで「花の兄」と呼ばれる。寒さの残る折、他の花々に先立って咲くからだそうだ。私は梅のつぼみが開きはじめる季節に生まれたので、梅には何かと思い入れがある。
桜には個はないが、梅にはあるように思う。ひとつひとつの木に人格があり、独自の香りがある。その代わり、川辺に群れて咲く姿は桜の方が映える。個性の弱い花の方が、協調するのは得意なのだろう。

ともあれ、福島は美しいところだった。東京より西に引っ越してしまうと東北方面には行きづらくなるので、転居するまでにあと1, 2回は東北を訪れたいと考えている。

ハイルブロンのケートヒェン

二月に入ってから寝込んでばかりいる。喘息の発作が出たりノロにやられたり、風邪をひいたり酷く疲れていたり。今月は何かとイレギュラーな出費が多かったため、月末になるとお金がなくなり、そのせいでまともに外出もできなくなった。
病気になると何もできない。読書もメールの返信もできない。気づけば一日の大半をベッドの上で過ごしている。
体調が少し良くなった日はDVDで映画を観ていた。ロメールの『ハイルブロンのケートヒェン』。彼が唯一手がけた舞台作品である。去年同じくロメールの『聖杯伝説』を観たのだが、こちらも映画というより史劇に近い作品だった。愚かで純粋でひたむきな娘ケートヒェンが一人の伯爵を救済に導く話。なんだかファウストのグレートヒェンみたいだ。あるいはウンディーネ…。ドイツ人のロマン主義者はこういった娘を少女の理想像だと思っていたのだろうか。彼女たちは、無知で無垢であるがゆえに他人の魂を救うことができる。ケートヒェンもグレートヒェンも、利発で思慮深い女性などではない。

それにしても映画監督としてのロメールと舞台演出家としてのロメールはまるで別人のようだと思う。